カテゴリー:長崎の鐘の記事一覧

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カテゴリー:長崎の鐘

長崎の鐘 今日も元気だたばこがうまい

長崎の鐘 トロトロ、ゴクゴク、のむぷりん。

       長崎の鐘


    こよなく晴れた 青空を

    悲しと思う せつなさよ
    うねりの波の 人の世に
    はかなく生きる 野の花よ
    なぐさめ はげまし 長崎の
    ああ 長崎の鐘が鳴る


    召されて妻は 天国へ

    別れてひとり 旅立ちぬ

    かたみに残る ロザリオの

    鎖に白き わが涙

    なぐさめ はげまし 長崎の

    ああ 長崎の鐘が鳴る


    こころの罪を うちあけて

    更け行く夜の 月すみぬ

    貧しき家の 柱にも

    気高く白き マリア様

    なぐさめ はげまし 長崎の

    ああ 長崎の鐘が鳴る






     

    原爆を許すまじ


    ふるさとの街やかれ

    身よりの骨うめし焼土(やけつち)に
    今は白い花咲く
    ああ許すまじ原爆を
    三度(みたび)許すまじ原爆を
    われらの街に

    ふるさとの海荒れて
    黒き雨喜びの日はなく
    今は舟に人もなし
    ああ許すまじ原爆を
    三度許すまじ原爆を
    われらの海に
    ふるさとの空重く
    黒き雲今日も大地おおい
    今は空に陽もささず
    ああ許すまじ原爆を
    三度許すまじ原爆を
    われらの空に
   はらからのたえまなき
   労働にきずきあぐ富と幸
   今はすべてついえ去らん
   ああ許すまじ原爆を
   三度(みたび)許すまじ原爆を
   世界の上に
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長崎の鐘原爆を許すまじ
楽しく口ずさめる歌では有りませんが
心に沁み入る忘れられない歌です。
原爆の歌で知られている
原爆を許すまじの歌詞を文字を読むと
涙が溢れそうになります。
           黙祷
今日の暑さは

半端では有りません。

現在36度です   
皆さま
水分補給を小まめに為さって下さいね。
8月9日14時37分・記

だから長崎の鐘は嫌いなんだ

【百聞は 一見にしかず】… いや! 【百回 見るより 一回の 体験】を! パンチ佐藤は これを テーマに 芸能界【19年目】です!

毎回 お話し していますが 日本全国 世界各国で その土地で その土地の【名物】を その土地の【空気】と いただく!

【Dynamite】… これ以上 贅沢な ご馳走は ありません♪ その土地を 歩き その土地で 食べる その【一回の 体験】は 絶対に 忘れない!

そして その土地で 知り合った【友達】は 僕の【財産】です! 考えたら 日本全国の 都道府県に【財産】で ある【友達】が いるんじゃ ないかな♪(笑)

【北海道】は 襟裳岬の 中野船長♪ 北海道新聞 三浦くん♪ から【沖縄】は 砂川先輩♪ 島田先輩♪ 花城先輩♪… 感謝です(涙)
やっぱり【ジンギスカン】は デッカイ道【北海道】の 広い空の下で食べる♪ 【オリオンビール】は【沖縄】の 青い海を 見ながら飲む♪【Dynamite】この【体験】は【財産】だ… たった 一度の人生… 僕は ホントに【幸福 者】です(涙)

昨夜から 宮城県は【仙台】に 来ております♪【仙台】といえば【牛舌】… 東京で食べても 美味い【牛舌】ですが【仙台】の 空気と いただくと【Dynamite】♪

このように【食べ物】だけでは なく 一度でも その土地に 行ったら… 【カラオケ】などで 歌う時の 気持ちが違いますよね♪ その土地の風景が 見える! 匂いが してくる♪ あの時の 思い出を 胸に 歌うんだ…
♪好きですサッポロ ♪小樽の人 ♪襟裳岬 ♪雪国 ♪新潟ブルース ♪新宿みなとまち ♪新宿流れ者 ♪宗右衛門町ブルース ♪道頓堀人情 ♪そして神戸 ♪瀬戸の花嫁 ♪長崎の鐘 ♪長崎は今日も雨だった ♪花 ♪芭蕉布 ♪娘ジントヨ…

♪釜山港へ帰れ ♪ソウル賛歌 ♪離別 ♪黄色いシャツ ♪サラウル ウィハヨ ♪サラウル ハルコヤ ♪おうシャンゼリゼ ♪台北的天空 ♪アロハオエ ♪ペチカ ♪…

と いうことで やっと ここで タイトルの【青葉城恋唄】と なるわけです! お疲れ様でした(笑)

♪青葉城恋唄♪
♪広瀬川 流れる岸辺 想いでは 帰らず 早瀬 踊る光に 揺れていた 君の 瞳 時は めぐり また夏が来て あの日と 同じ 流れの岸 瀬音ゆかしき 森の都 あの人は もう いない…♪
歌詞に 若干の 間違いが あったら すみません… 僕が 高校… いや 大学時代かな!? 【さとう 宗幸 さん】の【青葉城恋唄】が 世に出たのは…

あれから 何年が 過ぎたのか? そして 何回 この【仙台】に きて いろんな 思い出を 作った事か… 【広瀬川】【青葉通り】… 目を つむりながら歌うと 白黒写真で 映像が 出てくる… (涙)

そんな【仙台の七夕】は【Dynamite】…『行くぜ!東北』よろしく お願いします♪ さぁ 昼から トークショー! 終わってから【牛舌】だ! えっ!? また【牛舌】!? またって… 悔いを 残さない為に【人生は 一度】…(笑)

長崎の鐘を創った男達

ブックマーカーが選ぶ超イカした長崎の鐘20選

こんにちは。

広島の夜ご満喫されましたか。

ちょうど8年前の海の日に1人広島に行きました。転職したばかりの契約社員先で初ボーナスを頂きそのお金で。

原爆記念館はやはり辛く、しかし数十年人間が住めないと言われながらの復興は、その人類初の「人災の原爆」の威力に増して熱盛んであったんだろうと一人涙した記憶があります。

核兵器全廃を心から、本当に心から願うばかりです。

1週間ほど前、youtubeで「長崎の鐘」を聴いており(大好きでして)、歌合戦をしておりました。その際、画面の藤山一郎先生との合作で歌を詠みませて頂きました。「夢」のようなお話しですが。

「長崎のあの日」

青空は

明日までも届く

営みを

届けたかったと

あの夏を泣く

書きながら急にあの日に行っていた気がしました。

原爆の爆発爆風と放射能(?)が瞬時に広がる、ほんの一瞬前に鳳凰のような黄金の鳥が人々を庇うかのように飛んでいくお姿を感じました。まるで超高熱の爆風を少しでも癒されるように。微笑まれていたのは人々の苦しみを少しでも癒されるようにと、忘れさせる為だったような気がします。

2発の原爆ですがそもそも放射能は無かった気がしてなりません。もし放射能がなかったら、人類に対する極めて酷い「嘘」ということなります。

研さん、一度いや二度、お会いした気がしてなりません。車の中で変なこと訊いた気が。。。とてもお会いしたいです。

度たびこの曲を聴きます。大好きな曲です。藤山先生に激励頂き本当に感謝です。墨書した和歌(60枚ほど)入れた封筒が部屋から盗難に。もし見つけられた方是非ご一報ください。とても大切なものばかりです。お礼致します。

長崎の鐘に見る男女の違い

○廃車宣言

3月いっぱいで車をやめました。ちょっと早すぎるのではないかと見る向きもあるのですが、夜間の視力が落ちているのをはっきり自覚しているので、重大事故を起こさないうちに引退するのが花だと判断したのです。家は駅から近いので、さほどの不便は感じないで済みます。37年間無事故無違反ということになっていて(笑)、申請すれば表彰状をもらえるそうですけれど、さすがに悪党にも矜持の念というものがあり、「いい子」になるつもりは毛頭ありません。

○印鑑お届けサービス

旧友のH君に依頼されていた印鑑を、2キロばかり離れたH君の事務所に届けました。風邪引きも何とか快方に向かっているようです。わざわざ届ける必要はなかったのですが、車がないとおかしなもので、人間の動物としての本能が甦ったのか、無性に歩きたくなってしまい、散歩がてら赴いたというわけです。

↑依頼されたこの印鑑、「役職印」といって、一応最も難しいとされているものです。技能士1級の試験は、これを4時間半で彫るというのが課題になっています。今回は8時間かけました。試験並みの出来具合ではとうてい納得できませんから。

H君も風邪を引いたそうで、驚いたことに私の症状と全く同じでした。医者に行ったら、風邪に加えて花粉症のために咳が長引いているとのことだったそうです。私、これまで花粉症の自覚症状はなかったんですけれどねえ。

○遠い歌声

合唱練習に行きました。さて、練習場は家から4キロばかり離れているので、バスを使ったのですが、ちょうど近くに停まるバスがなかったので、1キロ以上歩くはめになりました。すでに今日は4キロも歩いているので、ちょっときつかったなあ。車ならどうということもない道のりが、いやはや遠い遠い。これでも昔は健脚で鳴らしていたのですけれど、寄る年波には勝てずってところですか。トホ、徒歩、杜甫。

開始時刻はとっくに過ぎているのに、歌声は遥かかなた。暗い森も、明りの灯る家々も、容易に私の視界から過ぎ去ってくれません。道路に引かれた白線はどこまでもどこまでも続いています。足はだんだん重くなっていきます。大地との格闘。そんな言葉が頭をよぎりました。

ようやくのことで練習場にたどり着きました。「すいません、すいません」と言いながら入っていくと、みんなが拍手で迎えてくれました。照れくさいことこの上ありません。

○『赤城の子守唄』再び

先日、老人ホームで演奏したときに、一人の老人から「老人ホームで歌うなら、もう少し選曲を考えろ」とお叱りを受けました。要するに、自分たちが知っている歌がほとんどないではないかというクレームです。このことを改めて問題提起してみました。

「そうねえ、ありがたいクレームだわよね」と、指揮者先生が言われたのには、私も同感でしたし、彼女を見直しました。

どんな歌がいいかということでみんなに意見を出してもらいました。私と指揮者先生とは同い年で最長老であるため、一番昔の歌を知っているのは当然なのですが、指揮者先生は私以上に知っているのでびっくりもしました。

ひとしきり、戦前・戦後の歌を私と彼女とでデュエットしちゃいました。相対的に若いメンバーには、「なに、あの二人!」って思われたかな(笑)。

藤山一郎『長崎の鐘』、東海林太郎『赤城の子守唄』、淡谷のり子『別れのブルース』などなど。

これでもぼくら戦後生まれですだよお。

でも、懐メロで私が最も好きなのはこれです。霧島昇『誰か故郷を想はざる』。

昔の流行歌って格調が高いんですよね。あの老人、こういうのが聴きたかったに違いないですよ。

○元の木阿弥?

帰りはもうバスがないことを知りました。指揮者先生が「送ってあげるわよ」と言うのを断固断り、「甘やかされると年寄りはダメになります。何としてでも歩いて帰ります!」と大見得を切ったのはいいのですが、さすがにこれから4キロはきつ過ぎます。途中でタクシーを捕まえる心づもりでいたところ、アルトのえみちゃんが「送ってあげるわよお。さあ乗って」。「そうですかあ。ではお言葉に甘えて」と、全然意志が弱いんでやがんの。

しかし、今後、帰りのことは考えておかなくてはならないなあ。125CCくらいのバイクでも買おうかなとふと思いました。でも、それじゃ元の木阿弥っていうものですよねえ。ようし、こうなったらマラソンマン復活と行きますか。(やめとけ。車よりあぶねえや!)

長崎の鐘変身は感動。

サイト丸ごと長崎の鐘情報。

リニューアル・オープン~感謝♪

みなさま本当にありがとうございました

おかげさまでたくさんのお客さまをお迎え

できました!

旧カチューシャのかたの力強い応援、ネット上のお友達方、

お母様をお連れのかた、お嬢様をお連れのかた・・・

そして嬉しいことに初めてのお客様が前回に引き続き

何人かいらしてくださいました

もちろんご常連様も~☆

7月にできたばかりのお部屋ですのでソファーもフカフカ!

3時間も歌ってもラクチン♪大丈夫です~

もったいないくらいのスペースをとっていただいて広々とした

空間です、もちろん普段はシャンソン歌手たちがつかっている

Live Houseですので音響も照明もグランド・ピアノみんな新しいです

途中でまだホカホカのお赤飯や差し入れのケーキでおなかも

バッチリ、一息入れて~

*****************

さて歌ですが旧カチューシャのかたから「アムール河の波」の

リクエストをいただき大きな声で大勢で大合唱~他には・・・

「おゝシャンゼリゼ」「たそがれの灯」「夏の想い出」

「学生時代」「長崎の鐘」「caminito」「また逢う日まで」

などなど40曲ほど歌いまくりです!

************

お誕生日にエントリーなさったかたは次にいらっしゃるとき

ご招待(無料)になります

次回のカチューシャは~

8月23日(水)、9月2日(土)・25日(水)

(13;00~16:30)

また、たくさんんのかたががお見えになりますように♪

長崎の鐘にうるさいあなたのためのサイト

こんにちは
あっという間に8月ですね。
毎年参加している恵比寿の盆踊りが、気づいた時にはとっくに終わってしまっていました…(/ _ ; )
なぜ、今年は誰も声をかけてくれなかったの!
さてさて、そんなこんなで8月の
終了しました(^_^*)
「夏」とか「海」とか、わかりやすいテーマの曲はあえて外し、
雰囲気で季節を感じられる曲を選びました。


前回、当て振りというテクニックを使って
短期記憶を刺激しましたが、
今回はアプローチ方法を変えて短期記憶の強化を図りましたよ
音楽体操は水泳の動作で上半身のストレッチ。
曲のサイズと動きがぴったり合いましたね
あと、8月に外せないのが「長崎の鐘」。
素晴らしい名曲なので、歌い継いでゆきましょう。
(余談ですが、今年の広島市長のスピーチは素晴らしかったです。リアルタイムで聴けなかった方は、平和宣言全文をぜひ読んでいただきたいとおもいます。)
そんなこんなで、次回の音楽レク講座は
9月3日(日)10:00-11:30
オフィスリブスタイル大岡山教室にて
ご参加お待ちしてますにゃー?

長崎の鐘で作ったようなロゴを作成するPhotoshopチュートリアル

長崎の鐘はやさしい

今日は、愛読誌 ”致知”の記事から紹介させていただきます。

余談ですが、先日インターネットの動画で、原爆の日に原爆ドームの前で、安倍政権の批判を行っているのは、おかしいのではないか、批判するならアメリカではないか!というのを見ました。

全くその通りだと思います。

「己の如く人を愛せよ」
    久松シソノ
    
    (永井隆記念国際ヒバクシャ医療センター名誉センター長)
■原爆投下その日
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

被爆直後の長崎で、ご自分の身も顧みず
被爆者の救護にあたられた医学博士・永井隆先生。
43年の短いご生涯は、「己の如く人を愛せよ」と説く
新約聖書の教えそのままの生き方でありました。

私が被爆をしましたのは、長崎医科大学附属医院物理的療法科で
婦長を務めていた22歳の時です。
地下で書類の整理をしていたところ、
突然ピカーッと目を射るような閃光が差し、
爆風で吹き飛ばされたかと思うと、
激しく床に叩きつけられていました。

瓦礫の山をやっとの思いで這い出すと、
水道の蛇口が爆風で開き、
豪快な音を立てて噴き出しています。
あまりの息苦しさにゴロゴロとうがいをしました。

高い薬局の塀を攀じ登ると、
顔じゅう血まみれになった永井先生が
「まごまごしていると焼け死ぬぞ」
と懸命に救出の指揮をとられています。
火の手はすぐそこまで来ていました。

「早く逃げましょう!」

そう言った私に、先生は

「一大事とは今日唯今のことなりーっ」

と掠れた声でおっしゃるではありませんか。

私たちが日頃積んできた厳しい訓練の成果は
いまここで発揮されるのだ、
私にはそうおっしゃっているように思えました。
■地獄絵図
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

その後、見た光景は地獄絵図さながらです。
茎だけになった芋づるを全身にぐるぐる巻きつけている人、
皮膚が地面まで垂れ下がり、
真っ黒な体の上から血を流している人……。

先生のこめかみはガラス片で奥深く切られ、
押さえていた指を離すと、
ピューッピューッと血の飛び出る始末です。
その上、被爆の2か月前に白血病を患われ
「余命3年」の宣告を受けられていたお体でもありました。

それにもかかわらず、先生はあの極限状況下で
まったくご自分の身は顧みることなく、
呼吸が苦しくなれば地面に仰向けになって
心臓を押さえ落ち着きを取り戻されるなど、
ふらふらの足で何回も立ち上がっては救護にあたられるのです。
また先生は戦地へも2度行かれていたため、
組織のあり方とは何かを実によく心得ていらっしゃいました。
病院からちぎれて飛んできたシーツを木片に括りつけ、
そこにご自分の血を擦りつけて“日の丸”を染め上げ、
角尾学長のそばに立たせると
「大学の職員ーっ、事務局、看護婦、医局の学生、みんな集まれー!」
と本部の位置を示されました。そして
「さぁみんな元気を出せ。
 男子は負傷者を収容する小屋を。女子は炊事係!」
と震える声で叫ばれました。
そうして集まった医局の連中で、
急遽、組織的な救護活動が始まったのでした。

一方、私が気になっていたのは先生のご家族の安否です。
被爆直後、私は何度となく
「奥様は大丈夫でしょうか。
 お帰りになってみてはいかがでしょうか」
と申し上げました。

しかし先生は決して首を縦には振られません。

3日後、自宅の台所のそばで
真っ黒く焼け爛れて亡くなられていた奥様の姿を、
どんな思いで見つめられたことでしょう。
■病床にて執筆活動
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

終戦後、先生はカトリック信徒から贈られた
畳二枚の小さな庵を「如己堂(にょこどう)」と名づけて
そこで寝起きをし、病床から
『長崎の鐘』や『この子を残して』などの本を
10数冊書いていかれました。

また、医師でありながら文化面に大変造詣が深く、
焼け跡の庭で子どもたちにお茶やお花の指導をされたり、
俳句や和歌をお詠みになったり、
豚や牛のユーモラスな絵を交えて
平和の大切さを訴え続けておられました。

やがて執筆した本が世に出るにつれ、
全国からひっきりなしに面会者が訪れるようになりました。
しかし病はますますひどくなっていきます。
呼吸をするのも苦しそうでした。

それでも先生は弱音は一言もおっしゃらず、
どんな方とも分け隔てなくお会いになるのです。
枕元にうつ伏せになりながら原稿に向かわれるのは、
夜中の2時、3時、教会の鐘の音が響く
朝5時30分までということもたびたびありました。

それによって得た本の印税で、
浦上の丘に千本の桜を植え、
近所の子どもたちのためには私財を投じて
図書室をつくられるなど、
「人のためにお金を使いなさい。
 自分がしてもらいたいように人にしてあげなさい」
と言われるお言葉通りの生き方をされていました。
■平和を語り継ぐ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

永井先生は生前、お書きになった本の中で
「核は持ってはいけない。戦争は絶対にしてはいけない」
と繰り返し述べられています。

ご自分のお子様二人にも
「最後の一人になっても、戦争の話が出たら反対するのだよ」
といつも言い聞かせておられました。
それなのに、いまの世の中はどうでしょう。

先生は
「喧嘩はしてもいいけれど、意見が合わなければ
 とことんまで話し合いなさい。
 お互いの人格を認め合えるよう、
 愛の気持ちを大切にするのだよ」
とおっしゃっていました。
お互いに助け合い、悲しみ合える優しい心を育て、
仲良く共存できる社会をつくるよう
力を合わせていくべきではないか、と私も考えます。

現在もそんな私のする話を聴きに、
修学旅行生たちが訪ねてこられます。
そんな時、私はほとんどお断りをせずお引き受けし、
突然の依頼であってもできる限り
お話をさせていただくようにしています。

永井先生が病臥にありながら、
訴え続けてこられた平和の尊さ、命の大切さ。
82歳のこの年まで生かせてもらえた命に感謝しながら、
子どもたちが幸せな生活を送れるよう、
今後も精いっぱい平和の尊さを語り継いでいきたいと考えています。

長崎の鐘 あなたにあふれる輝きを

本日は市山と安宅で伺って来ました。

利用者さんのいらっしゃる前に確認の打ち合わせで‘カモメの水兵さん’の前奏を私のオリジナルで弾いていたのですが定番の前奏を市山リーダーに教わりそれを取り入れることにしました。

長く歌われている曲の中には前奏から馴染みがあり そこからも記憶の糸を手繰り寄せるきっかけとなるので前奏 間奏も時には忠実に弾かなければと反省 (;^_^

施設のある当たりではちょうど〔島本夏まつり〕をされていたので、

セッションの始まりに夏祭りから回想するものをお聞きすると金魚すくいの声が多かったですね
(市山リーダーのウナギ釣り?には私は目が丸くなりましたが。。。(*_*))

続いて今月の歌から‘しずかな湖畔’の輪唱にチャレンジして頂きましたが
最後までつられる方もなく歌われていました。

‘長崎の鐘’では悲しい記憶をお持ちの方も多いでしょうが、今日の利用者さんには
その歴史的背景より平和を願いながらどんな風に歌うと心がこもると言う事に視点をおいて
リードされていた市山リーダー☆
曲の解説にも利用者さんの様子により色んな角度を持つことが大切だと改めて学びました。
安宅 紗海
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